雛屋 立圃 ひなや りゅうほ
   

秋の野風は色も
においもおかしく
うら
かれてつよき影あり
又しるやか〇よ〇き
ふしあり
花野ふく風や小歌の聲の色
18.3p×20p

文禄4年(1595)生〜寛文9年9月30日(1669年10月24日)歿
 江戸時代初期の狩野派の絵師、俳人。野々口立圃としても知られる。先祖は地下侍といわれる。
 姓は野々口、名は親重。立圃、立甫、甫、松翁、日祐、風狂子と号している。京都一条に生まれ、父の代に丹波国桑田郡木目村から京へ上り、雛人形を製造・販売していたため、雛屋を称す。俗称として紅屋庄衛門、市兵衛、次郎左衛門、宗左衛門など諸説がある。
 松永貞徳に俳諧を学び、猪苗代兼与に連歌を、烏丸光広に和歌を学んでおり、また、尊朝流の書を能くしていた。絵画は狩野探幽・俵屋宗達・土佐派を学んだともいわれるが未詳である。特に土佐派を基調にしたうえ、宗達流の墨法を交えて立圃独自の俳諧趣味を加味した古典画題の作品、墨画、風俗画、俳画、奈良絵本などと多方面に画作を残した。
 著作は『誹諧口五十句魚鳥奥五十句草木』『誹諧発句集』『犬子集』『十帖源氏』『文正草子』、『俳諧絵巻』『休息歌仙』『小町躍』など多方面にわたり、ほかにも多くの版本を手がけている。
 門人に実子の生白(号は鏡山)がいる。
 立圃は俳画の先駆者として後の西山宗因、井原西鶴、松尾芭蕉、森川許六、松村呉春らに影響を与えたほか、上方における挿絵草創期の人物として吉田半兵衛、蒔絵師源三郎、西川祐信などに多くの影響を与えている。

推奨サイト
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%9B%E5%B1%8B%E7%AB%8B%E5%9C%83
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